1050. ノートルダムを想って

maemi fuminori [Date 2019-4-19]

院試の受験勉強中、恩師から勧められた書籍のひとつに『ヨーロッパ建築史|西田雅嗣著』があります。

時代区分や様式の特徴の変遷が丁寧に紐解かれており、学生当時、講義で使う資料集では全く理解できなかったのに、この本で建築技術とはなにか、洗練とはどういう過程を経たのかがすーっと理解できたのを鮮明に覚えています。良い教科書ですので興味のある方は読んでみてください。

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まもなく終える平成はショックな災害、凄惨な事件を目にする事が多く、それらがネットでリアルタイムに世界中で共有できてしまう事が昭和と大きな違いの一つでもありました。
先日のNotre Dame de Parisの大火災も言葉になりませんでした。
それでも焼け落ちてしまった尖塔について即座に国際デザイン公募を実施しようと決める"スピード感"は多いに評価できると同時に、公募案をみんなで見ながら"有り得べき方向性について議論できる土壌"を国として用意しましょうとういう民主主義的態度にも大いに共感できるものでした。

SNS等では火災前の状態に復元してほしいという素直な声が多く寄せられています。
一方で既に

・ペントハウスにして開放する
・尖塔は復元しつつ、屋根をガラス屋根に変えてトップライトにする(ルーブル・ピラミッド的)

などの画像が出回り、やはり議論喚起を始めています。
僕はこう思う、私はこうであってほしいと忌憚なく言えて、それを互いに尊重しながら思慮深さを増すことは建設的で良いことで、日本も公共性に対してこういう社会に成熟してほしいと切に感じます。
我が国は少子高齢化で技術開発が先細りになろうとしていますが、一方でロボットやAIを用いた建設技術も発芽しています。それらの発展は途上国への技術貢献にも大いに役立つものです。

幸いにもノートルダムは3Dデータが作られているという記事や、3Dスキャンで測量した動画、オンラインゲームの世界でパリを舞台にノートルダムまで再現した背景データの活用は可能か?など、情報アーカイブスを頼りにできることも現代の強みであり、その点で海外は文化財保存のソフト対策としても進んでいると感じます。実際ネットで3Dを検索すると5万円くらいで購入できる精巧なモデルデータも存在します。もし、日本のゲーム業界が都市データを作成したり(そんなゲームを本気で作ったり)、災害時に建設業界や行政とデータ共有できるような連携協定を結べたりすることはリスク分散の上でも有用ですし、新たな職能や雇用機会が産まれます。

先日、寺社仏閣においても緊急点検が指示されたものの、もし燃えた時、それは「すべてを失うのだ」ということの意味をもう一度噛み締め、再建しようと思い立った時にすぐ使えるためのデジタルアーカイブの整備、拡充はぜひやってほしいと感じます。ノートルダムでも大工が現場で描いて柱の裏に貼り付けたようなちょっとしたメモも消失してしまったと考えると、私たち設計者のデータや図書の保管体制が如何に大事であるかも十分理解できます。もちろんどんな災害、どんな建物においてもです。

公募について、個人的には"尖塔のデザイン募集"といっても当然、屋根も、「森」と呼ばれる小屋組みも、トランセプト(交差部)上部の崩落した組石のヴォールト天井の復元や肌具合の修復も含めて全体像を捉え、提案する必要があると思うので、尖塔だけ提案すれば良いコンペではないはずと思います。

日本では3.11以降、吊り天井脱落対策による一連の技術基準告示「特定天井(建告771号)」が施行されています。そういう安全対策の一石になるような技術提案も踏まえなければ同じ過ちを繰り返すでしょう。日本の建築家の中にも応募する人がいるのではないかと思うので、パリが称賛するに値する提案を希望します。

現聖堂は目に見えない入れ子の構造を持っています。
はじめ、12mの高さの《旧ノートルダム修道院学校聖堂》が同じ位置に建っていて、マトリョーシカのごとく覆うようにして建てられたのが現聖堂といわれています。高さ(天)への挑戦の歴史とロマネスク様式~初期ゴシック、19世紀に高さを増やして再建されたゴシック・リバイバルの尖塔でわかる通り、混在する様式と落雷による損傷含めその改修の痕跡を理解、フィードバックしながら21世紀の、のちの人類がこの厄災への哀しみを乗り越え、現代人が叡智を集めて遺産を託してくれたのだと感じてもらえるような修復と再生を行ってほしいです。つまり5年で済むような話ではないということです。

そして、これは正しく聖堂です。
それは楽器としての建築、身体を表した器官としての建築です。
これが大聖堂の最大の意味です。"パイプオルガンから出た音は空気なのか?"という論争が起きるほど外界と縁が切れた場所が教会であり、もともとあった《旧ノートルダム修道院学校聖堂》のロマネスク様式の空間は良いエコーを醸し出し(それ故ゆっくりとした歌い方でないと反響して聞き取れないという、空間が導いた歌唱法)ていたのが、それを覆うようにゴシックに改築され、天井が高くなったために良質なエコーが消えてしまい、聖職者たちは何度も歌い方を試して後の記譜法やドミソの和音を開発したと言われます。

ヴォールト天井や天に和音を届かせようとした尖塔の焼失は響きを失った楽器であり、心臓を失った身体そのものであることから、奇抜な意匠を思考する以上に、まずその機能不全を認め、現代のテクノロジーで音を取り戻す音響設計の姿勢そのものが問われる。これがこの公募の意義だと感じます。
その叡智が未来に伝えるべき価値となることを願って。

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914. オットーネーベル展

maemi fuminori [Date 2017-11-16]

スイスで活躍したドイツ出身の画家オットー・ネーベル(1892年-1973年)。
250ページの画集での解説、バウハウスの芸術活動とその時代背景(2つの大戦と避難)、カンディンスキーやクレーとの技法の違いを見比べながらの150点に及ぶ展示の一部始終を綴ることはできませんが、画集から2点ほどご紹介します。
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と冒頭書きましたが、ここでも同じで、実際目に焼き付く情報量が何十倍も違います。TFTモニターだろうがiphoneXのOLEDと薄膜ガラス越しであろうと、綺羅びやかな光の粒子を感じ取ることはできません。どんなに大量生産ができるようになっても、ネット配信できるようになっても、1枚の絵画が持つ質感や放つ場の雰囲気は複製できませんね。

だから人類は「オリジナル」を保存し、鑑賞し、解説やキュレーターが考える鑑賞ストーリーや、それによって立ち現れる展示品の配列や鑑賞に適した高さ、年代ごとの画風の変化から心そのものの描写や、使われているマテリアルを知り、その時代背景を考えたり追体験のような貴重な経験を得るためになんらかの環境や装置が必要で、美術・博物館という入れ物が必要になります。目の前にあるモニター越しの1枚から想像できることもあるものの、綺麗さや感嘆だけにとどまらない、オリジナル特有の情報量はそれらを軽く凌駕します。

この《山村》や《コッヘル、樅の木谷》は共に1925年と初期の作品で抽象的ですが、具象的でもあり、上下左右どこからでも見れて、方向性がありません。着想も技法も実に立体的で建築的です。実際、《コッヘル、樅の木谷》の左上の1本のもみの木と鹿がいる「丘」は銀絵の具が目で見てわかるくらい「盛られて」います。要所要所銀絵の具を用いて、地形になぞって積もる雪を表現している様に見えます。とても美しい色の地層です。

ネーベルは重ね塗りの超絶技巧派おじさんです。
モザイクタイル?貼りません。絵の具で厳密過ぎる細かな線を延々と引き、ハッチングをひたすら重ね続けて絵を描く人です。

何故かというと、彼は建築技師の経験もあったからです。
それでも上の2枚の絵画のように初期は具象的な表現が多かったのですが、1931年に3ヶ月間滞在したイタリアで『イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)』を開発し、抽象画に目覚めていきます。

このカラーアトラスは、私たち建築関係も印刷関係も当たり前に使っている「色見本帳」のようなものに似ているところがありますが、彼の見本帳は「その地で見た光景から湧き上がる感情」をどのように「書き留めるか」について考えてつくったものでした。それは、サイズの異なる四角い色をスケッチブックに間隔をあけてランダムに並べたもので、見た光景の『響き』を四角のサイズで現し、その四角に風景から受けた色を載せ、「各地の色の図鑑」をつくったのでした。
のちの制作にも長く影響した基礎となる作品です。

建築でも雑誌やネットを通して見る確立されたジャンルとしての「建築写真」の美しさがあります。
その意識的に切り取られた美を認めながら、写真映えを目的とせず、体験しないとわからない良さや言葉にしにくい抽象的な感覚について、(どうやって書き留められるか考えつつ、)これからも目指して設計したいと考えています。

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888. デザインの底力

maemi fuminori [Date 2017-5-30]

She's #lookingup #rotterdam #rotterdammarket #markethall #netherlands

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行ってみたいクレバーな「市場」。

大小問わずこれからの都市・建築に対する考え方に必要なエッセンスが詰まっていて、
個人的にはとても好印象な事例。

暮らしに密着した食の供給のかたち(=市場)を、「家をデザインすること」で複合的に解決している。
(窓が開いてる外殻部分(=建物)が住まいで空洞部分(=トンネル)が市場)

地上を大量の駐車場で埋め尽くすような大型ショッピングセンターはさらに深い洞察を持つ必要があるし、タワマンや公営住宅の未来は少なくとも「食空間と密接にあるべき」だろう。

ショッピングとは何か考え直してもいいし、

購買意欲を促す陳列とはかつて何だっただろうと考え直すのもいい。

各地いろんな食フェスが開催されているが、その一過性の仮設的な場の高揚感(ハレ)を
「恒常的につくる」にはどうすればいいか考え直すのもまた楽しいだろう。

デパ地下的な閉塞感とは異なった、開放的なマーケットの空気感が暮らしには身近に必要だと思う。

この建築ができるに辺り、発注者がどのようなオーダーをしたのか私は知らない。
しかし、「集合住宅やホテルを作ってくれ。市場のような賑わいのある公開空地や広場があるといい」というオーダーだったならばとても見事な回答だと思う。

事業主が建築家や設計事務所にオーダーするということの大義は、決して仕様書通りにパーキングを整備し、安価なスパンドレルを貼り付けて四角く巨大な箱を作りハリボテの内装で演出することではなく、
暮らしを活気づけるために、同時に思わずこんなスナップショットを誰かに見せたくなるような建築を通して、
街の発展をどのようになすべきかを問うことだと思う。
そういう心意気のある事業がこれから増えてほしいと思う。

「市場と街の交流」が視覚的にも、距離的にも分断されるようでは、街は豊かになりきれないという都市現象を建築物のデザイン力(=構想力、企画力、設計力、施工力)で示していて、オランダのデザインに対する国民の理解や強烈な底力を感じる(設計:MVRDV)。

ここで伝えたいのは形の輸入をしろ、こういう形が市場のあり方だということではありません。

※どうしてもご紹介したかったので削除要請がある場合対応致します。

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883. 遊戯の本質

maemi fuminori [Date 2017-4-21]

画家ピーテル・ブリューゲルといえば、現代建築界隈ではどちらかというと『子供の遊戯』(油彩/1560年)を題材に公共空間や空間の状態の本質的なあり方などが語られてきたりする。

ブリューゲルの生誕は1525年-1530年と幅があり、ギルド(画家組合)の新規登録の年齢が21から26歳ということから、逆算的に推定されたとされる。死没は1569年というから、39歳から44歳という若さで精力的に制作され、この世を去っていることになる。

『子供の遊戯』は市役所と思しき建物の広場で80種類の遊戯や250人ほどの子供が真剣に遊びに興じる姿が丁寧にバランスよく収められている。現代の遊びがどのくらいの種類があるかはわからないが、外遊びを体現できる子供は少なくなってきたのは事実だろう。
日本画では歌川広重作『風流おさなあそび』のような百科事典的な絵はあるが、これだと「どこ」という場所性について剥ぎ取られているため、空間と結びつけて行為を視覚的に考えることができない。

『子供の遊戯』に描かれる建物で市政を取り仕切る大人も(現代なら公務員も民間企業の仕事も)神の目で見れば、外で遊ぶ子供同様大差ないのだという有名な暗喩は異論はないし、遊ぶときの子供の表情は決して笑顔だけではなく、人はむしろ集中するとき笑顔を通り越して真剣な眼差しに変わってゆくことから、仕事への取り組みをより遊戯の本質になぞらえてクリエイティブに行うことの重要さとして使うこともある。

建築や都市計画的にはその市政の場でも企業の場でも、この絵の中心にある「広場」のような、誰にとっても開かれた公平な居場所、思い思いの時間を過ごすことができる環境を、用意できる資質のある大人がまさに遊戯の本質を通して、真剣な眼差しをもってクリエイティブに企画立案し生み出すことが大事だという時に用いるには大変有効な1枚でもある。

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現代アニメーションならルパンが屋根から屋根へと飛び移るシーンに代表されるように、「ありえないけど身体感覚としてどこかできそうな、でもできなそうな」という、可能性の境界線が揺さぶられるような場面、でも結果として飛び移るという勇気を提示してくれるという機会は、人が人であることがなんなのか、今ある環境よりもっとできそうなこと、わくわくできそうなことがあるのではないか、そんな期待感や希望を感じる一幕といえばよいだろうか。

公共施設や教育施設で起きている大きな問題はどちらかというと『子供の遊戯』から3年後に描かれた『バベルの塔』を暗喩に語りたい人も多いだろうし間違いではないとも思う。
用意する側と使う側の間に共通の言語が不在となる時、建物は建てられることを辞める。

建物を擬人化すれば「君らに私は必要ない、私の存在で君たちが不仲になるのはゴメンだ」となる。

巨大になればなるほど、資金が莫大になればなるほど関係者との言語のみならず視覚情報を通じで相互理解が必要になる。合意とは何かの議論が先ず必要で、落とし所が何なのかを視覚的に共有しなければならない。その時間と費用は膨張し、抑制するために理解を制止することさえあろう。物理的な建築物として適正であることと、経済的に適正であることと、運用上適正であることを天秤にかけ、検証や立証作業はより複雑化し、年度単位の予算消化や年度単位の人事異動という入れ替えシステムでは利害関係者との意思疎通を継続的に図ることが困難極まりない状態となる。資料は膨大になり、管理不行き届きが起き、その資料を探すだけで「仕事」が終わる。一日が終わるという悪循環を引き起こしかねなくなる。

この絵を通してそんなことを思い描く。

《OSK》は現在、実施設計後の大きな変更要望を満たすために、施主と往復書簡のような形でやり取りを継続している。もうじき折り合いがつくのではないかと思う。
施主が部屋ごとに理解できていることを確認しながら、理解しきれていない点を指摘すると「あ~そうかあ」となる。
変更した場合こう変化するという絵を送り、また腑に落ちるまで考え直してもらう。その繰り返しをしている。

例えば玄関の位置ひとつにしても、敷地の中でどこに置かれるべきかを基本提案で早々に示しても、あとから変えてほしいとなったとするとしよう。立地条件から最適な配置があるのに、感覚的な理由で、あるいは家相的な理由で変えてほしいとしよう。

どちらも確固たる理屈が一切ないわけだが、肌感覚がそうさせない。設計者にエビデンスを求めるのに施主が変更したいエビデンスを出さないとなったらそれこそ即座に『バベルの塔』に陥るだろう。

なので、この場合はこう、この場合はこうと、玄関の位置が変わった時に他の部屋がどう変わるのかを視覚的に見せてあげるしか方法はない。その差異を見てもらいながら、「一つの変化が起きれば、他への影響が必ず起きるという環境の連鎖」を知ってもらうことが設計論の一つとして重要になってくる。
これを網羅的にシュミレートされた無数のパタンで示せば、選択肢が無数になり、施主は一層混乱に陥るため賢明な方法ではない。
今やり取りしている方法は詰将棋のように、背景には無数のパタンが存在しつつも、王手するにはどのように部屋を置けばよいかを今まで以上に深く考えてもらって、契約という有限な時間の中で最適な一手を決めてもらうというやり方になる。やり取りを繰り返す中で基本提案で示した案が如何に様々な予条件を受け止めて整理して提示した案なのかを痛感される場面もある。
それでも理屈抜きに肌感覚にフィットしなければ簡単に変更を求めるご時世なのだから、これからの家造りは公共建築以上に施主にも設計にもエネルギーが求められることだろう。

それでも、住まい手がひとつづつ納得しながら建設行為を自分の皮膚感覚に近づけようとご努力していただけることは双方にとって大きな財産であるし、末永く心地よく住んでいただくためならいつでも『子供の遊戯』の子供になりたい。

都美館(東京都美術館)で開催中のブリューゲル「バベルの塔」展は真剣な眼差しで楽しんで鑑賞してみたいひとつになりそうだ。

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854. 現し

maemi fuminori [Date 2016-11-16]

あらわし[あらはし]【現し】

建築用語における【現し】は、梁や柱などの構造材が見える状態で「仕上げる」方法を指し、
天井を張らずに([はる]にも【貼る】と【張る】があり区別される)小屋組みを見せる(魅せる)などをいう。
隠蔽となる部分は構造耐力を満たせば良いので、木造なら荒(粗)木のまま使うのが普通。
【現し】になると、【化粧】または【仕上】となるので鉋で削るなど精巧な工作(工作手間)が要求され、
天井を張るよりも高価になりがち。
素朴で豪放な雰囲気となる。

あら【現】

接頭語として、目に見える形を持つ、現にこの世に存在する、の意を表す。現神(あらがみ)など

うつつ【現】

1、「夢か現か幻か」のように夢や虚構(幻)に対して、この世に現に存在しているもの。

2、正気。意識の正常な状態。

3、現実に生きている状態。現存。死に対していう。

4、「夢かうつつか」、「夢うつつ」の誤用によって、夢とも現実ともはっきりしない状態。夢見心地。夢心地。

うつし【現し/顕し】

現実にこの世に生きている。

正気である。気が確かである。

対して、
ひょうしょう【表象】(Representation)

1、記号(sign)やシンボル(symbol)、イメージ(image)などの類義語【象徴】。「精神を_する造形」

2、いろいろな感覚の複合体として心に思い浮かべる外的対象の像。心像や観念。

3、あるものを別のもので代表させる。あるものを別のもので表現する。再演。


があるが、例えば建築において、愚直に【現し】た架構の状態が、見る者に様々な像を抱かせる、像を結ばせる場合(連想、想起)、その構造は素朴さや豪放さ、職人の精巧さを【現す】だけにとどまらず、別の意味や記憶、思い出などがもたらされることがある。

世界中、国内にも明らかに何かに見える建築の内、「度を超えて」想起される対象そのものを「意識して設計した」であろう建築が存在する。
船にしか見えない建築や、産業のシンボルを形作ったコミュニティセンターや、海外の様式の模倣によるおとぎの国や、なんとか村のような世界まで。

それは子どもから大人まで楽しめた場所だったかもしれないし、地域の産業の現れ、だったかもしれないし、「うつつ【現】の4(夢かうつつ)」だったかもしれない。

思い出が増える場所や建築は素晴らしい。
しかし、思い出が生まれる建築というのは、表象を意識した造形で夢を見させることが目的化しすぎてはうまくないと個人的に思っている。
まずは、暮らしの中から現実の課題を拾い集め、どのような暮らし向きにすると解法に向かい、長続きする楽しさへ向かえるかを考え、そのための場所はどのようにつくりうるかを考えることからはじめるのがよいと考える。そのためには地域そのものの【現】を丁寧に診てもらう他ない。
押し付けた夢に共感できるか愛着を持てるかであり、その感覚が思い出として表象するには建築の場合、世代交代も踏まえた長い年月がかかることを大前提とする必要がある。

建築が造形で「夢かうつつか」を投影しすぎるのでは、その建築が儚く消え去ったとき、その夢を信じて愉しんできた人たちはどこへ行ったらよいだろうか。路頭に迷いはしないだろうか。

地域に根づく建築とは、地域の人が単純なまでに
「その建築は壊してほしくないなあ」、「直して使う方法で考えよう」、そう直感的に思える建築である。
地域の人が、であって決して施主だけの話ではない。逆に施主が壊すと苦渋の選択をしても、周囲から悲哀の声が生まれるなら、施主はもう一度再考してみることを厭わないという判断もときに必要である。
建築は外に否応なくさらされる、現される存在だからである。

そう思える建築でさえも、保存か解体かに揺れながら、維持管理の障壁で消えてゆくこともある。
この「維持管理の障壁」が単に資金不足や法適合性だけを見て判断せざるを得ないとしたら、これから先も建築は必ず「泣きを見る」存在になってしまう。愛着も記憶も無用の存在になる。
それを恐れるレトロ愛好者は現存の建築を今の時代の感覚を交えて再評価し、フレームに収め続け、当時なにがあったのか、なぜこのような場所が誕生したのか教えてくれる。

スマホのネット空間だけで足りているわけでもなく、確実にその周囲には現実的な空間が拡がる。
その空間をかたちづくるすべての物が同じ考えで更新か否かをずっとやりとりしている。(予算取り問題)

ポケモンGOやIngressは現実の街に半強制的に繰り出すことを促す効果もあったが、それが関心への契機になるのか、やはりゲームが終われば街への興味がなくなるのかは個人に委ねるしかない。
そういう「ゲーム感覚」を取り入れたのが千葉市であり、道路の補修や街頭の球切れなどインフラの老朽化や危険地帯を市民がスマホで撮影し、開発したアプリ上に投稿すると職員がチェックできるという仕組みも既にできている。普及するかどうかは全国の自治体や市民の意識にかかっているのかもしれない。

発注者もわれわれ設計者も施工者、そして消費者も、今一度、自分のいる街の場所ごとの意味について、これからの場所について考えるきっかけが増えるとよいのではないかと大震災以降ずっと思い続けている。

そして、施工者から、【現し】ではなく【隠蔽】でやらせてほしいとお願いされ、精巧さへの手間や、予算とのバランスと、隠蔽すれば簡単という易きに流れることへの警鐘を天秤にかけながら、イメージしている精巧さについてヒアリングし、すり合わせねばならない。

いろいろなことを思いながら打合せの準備が終わる。

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797. オムニバス・ドキュメンタリー『もしも建物が話せたら』

maemi fuminori [Date 2015-12-22]

2016年2月20日(土)より渋谷UPLINKほか全国順次公開予定のオムニバス・ドキュメンタリー
WOWOW(日本)xARTE(フランス)xrrb(ドイツ)による国際共同プロジェクト
『もしも建物が話せたら』が楽しみです。


人ではないものを人のかたちにして表現する擬人化。物を大事にする心を育むための人類の知恵。
きっとそれは建物でも同じではないだろうか?と思いながら設計しています。

設計する時はいろんなことを考えます。
「この窓はどちらに向けてどんなスペックにして開けようか?」と考えると同時に、「この口が、目が、街や人にどんなことを伝えられるだろう?耳は人の声や鳥のさえずりをどんなふうに聞けるだろう?」など・・・ぼんやり、やわらかいところから考えることがあります。

道に対して玄関(という彼/彼女)はどうだろう?恥じらいながら慎ましく振る舞えたほうが良いか?ウエルカムな性格か?威厳のあるなんだか近寄りがたい人柄か?でも内側に飛び込んでみたら(話し込んでみたら)以外に気さくで心地よかった。お隣さん(の建物)と仲良く過ごせそうか?お隣さんを邪険にしていないか?・・・柱や壁はどうだろう?など・・・設計で試行錯誤している時や完成して人を呼びこむ時は、愛されてほしいな、親しんでもらえるだろうか?など、どんなプロジェクトでも感じていることをこの作品に先立って代弁してもらった心地がしました。

この作品を通してまた少し建築が楽しくなったと感じてもらえたら。そんな一本になるような気がいたします。

新国立競技場の二案の図面は、街にもフィールドにもいたるところに丁寧に、真摯に語りかけておりました。
この短い期間で厳しい要求、難しいプロセスに応え尽くした両陣営の取り組みに胸が熱くなりました。
完成するスタジアムはどんなことを話したがるでしょうか。
誇れるスタジアムになることを願っております。

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785. 『建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"』(2)

maemi fuminori [Date 2015-11-06]

展示風景の前に、もう一度1987年《フィッシュ・ダンス》から。
ゲーリーと魚、魚から建築へ。

幼少期のトラウマ
ゲーリー少年はおばあさんに連れられて、木曜の朝にトロントのユダヤ人市場へよく行っていたそうです。
おばあさんはそこで30~60センチほどの黒い鯉を買ったそうです。
家に帰ると、おばあさんは浴槽に水を張り、その大きな鯉を入れたそうです。
優雅に泳ぐ鯉を見てゲーリー少年は自分も体をねじらせ夢中で遊んだそうです。
ところが、その鯉はユダヤ料理のひとつ「Gefilte fish」をつくるために買ったため、すり身にされてしまいました。
その捌く光景が少年には酷く、悲しい記憶として刻まれたそうです。
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「Gefilte fish」wikiより

建築家となったゲーリーは来日します。
ある時、池を優美に泳ぐ鯉のフォルムに勇気づけられます。
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その美しさから、エレガントな建築に憧れるようになり、長年の形態研究を経て、ウォルト・ディズニー・コンサートホールやビルバオ・グッゲンハイムなどの「建築に動きを与える、流動的な建築」に昇華していったそうです。
水の中でたゆたう魚のように大気の中でゆらめく建築。
水を得た魚のように水や空気、光の中でイキイキと振る舞う建築がゲーリー建築といえそうです。
ほんと日本でトラウマを克服できてよかった。魚座だからじゃなくてよかった。

1983年、ゲーリーは高圧ラミネート樹脂メーカーのフォーマイカ社から生産した新しいプラスチックを使ったいくつかのオブジェ制作の依頼を受けます。
高圧ラミネート樹脂がどんなものかというと、ご家庭のキッチンカウンターの扉とか安価で手入れしやすい収納家具などの表面化粧板です。
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このような樹脂板

ゲーリーは作業中、誤ってひとつの作品を落としてしまい、床に破片が散らばってしまいました。
その片鱗を眺めているとき、それが魚の鱗に見えてきて、そこから《fish lamps》の一連の作品が生まれたそうです。
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こういうストーリーがあって、1987年、神戸メリケンパークの《フィッシュ・ダンス》も生まれたんですね。
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脱線しましたが、彼の建築の背景が幾分見通し良くなりました。

次回に続く

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784. 『建築家 フランク・ゲーリー展 "I Have an Idea"』(1)

maemi fuminori [Date 2015-11-05]

ミッドタウン・ガーデン内にある21_21デザインサイトで開催中の
を見てきました。

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フランク・O・ゲーリーはカナダ、トロント出身でロサンゼルスを本拠地とする地球を代表するスター建築家です。
御年86歳、魚座です。コロンビア大学大学院教授で、イエール大学でも教鞭を執っています。
その風貌はアメリカそのものというような自由さとおおらかさがあり、創りだされる建築も群を抜いて独創的です。
生み出される現代建築を「どれもクソだ!」と平気で罵り(叱咤激励ですね)建築メディアでも話題になりましたが、それが許される人です。

日本の槇文彦氏が87歳、共に戦前生まれの真のエリート建築家という位置づけができるかと思います。
両者ともに建築のノーベル賞プリツカー賞受賞者です。ザハ・ハディド、伊東豊雄、妹島和世各氏もそこに入ります。
同時期、代官山ヒルサイドテラスAギャラリーなどでは槇文彦氏の展覧会


開催中です。
こちらは今月11月29日(日)まで 入場料無料

小津安二郎の『大学は出たけれど』
とか
大阪梅田に初の駅ビルデパート「阪急百貨店」
とか
サントリーから国産初のウィスキー白札
が出たり、「モダンライフ」という流行語ができたり

世界恐慌に陥ったり・・・

自分にとって20年ほど前の学生時代からすでに「スターアーキテクト」であり、自由な形態の建築はいまだ嫌味なく人々を魅了し続けています。
その秘密の一部を晒したのが今回の大規模展ともいえ(年齢から考えれば今後見れるかどうかそれくらい貴重な機会)、なぜグニャグニャなのか、グニャグニャなのになぜ人々を魅了するのか、はじめからグニャグニャなのか、一体どうやって考えだされ、建設されているのか、予算に収まっているのか?など、誰もが疑問に思いながらもいまひとつ理解が進まないまま、書籍やメディアを通して伝えられる数々のフォトジェニックな建築を受け入れてきたのも事実でしょう。

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そして、スペインの《ビルバオ・グッゲンハイム》のような観光誘致成功の立役者としてスターアーキテクト起用のシステムが市場原理主義社会において今後もなくなることはないということなども背景として理解する必要があります。

また、本展を通して初めてゲーリーを知ったという人も多いかと思います。
私が行った時も「これ、前を通ったよね!ゲーリーだったんだ!!」と若きカップルの会話が聞こえてきます。
なんとなく面白い建築ならまあ好きだけど、建築家までは詳しくないというのが普通かもしれませんね。
建築を見る人にはこんな分類ができるかもしれません。
・フリーク(学問)
・ステータス(ライフスタイル)
・ゴシップ(大衆紙などを通した建築業界の闇ネタ)
・デモクラティック(政治批判の道具)
だから、見方が収斂しない。
新国立の再公募案も今月揃うことでしょう。
批判精神をどのように持ち、どのように建築を、建築家を見る必要があるのかをゲーリー展は教えてくれることでしょう。

「建築は四角いもの、直角で真っ直ぐな方が好き」という人にとっても、本展で様々なプロジェクトと、模型を通して伝えられる学術的アイディアやプロセスを目にすれば自分の身体感覚、世界の見方がさらに広がっていくことが実感できることでしょう。

と軽目の補足を加えつつも、実は自分にとっても書くにはハードルが高いのです。
そもそも、海外プロジェクトばかりなので早々体験できないため体験記としては書けません。
ただ、日本で唯一の作品を挙げれば、1987年、安藤忠雄氏監修で神戸メリケンパークに作られたオブジェ《フィッシュ・ダンス》があります。そう、ゲーリー建築は新国立にも応募していない、日本に人を包み込む実作がない。
だけど、全幅の信頼が漂う。

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《フィッシュ・ダンス》wikiより

御年86歳、魚座と書いたように、昔から伝え聞くところによるとゲーリー氏は「魚好き」らしいんですね。
うお座だから魚好きなのか、だとしたらベタというか律儀というか、占いとかも好きなんじゃないかとさえ聞きたくなるわけですが、本展では『ゲーリーのシークレット』という展示室もあり、彼が大事にしているモノ・コトも垣間見ることができます。
発端がなんなのかはともかく、魚を科学し、ウロコのような外壁を金属に置き換えて、金属研究や流体力学、航空技術などの研究の蓄積がゲーリー・テクノロジー社までも生み出し、建築を飛躍的に進化させていったという流れが真実かどうかはご本人の内に秘めていることなのでわからないんですが、そんなふうに見ていけば各プロジェクトもそう見えてきます。

さて、本コラムで氏の全貌など当然完璧に綴れるわけはありませんので、数回に分けて、私の目で重要と感じたキービジュアルにとどめご紹介します。

第1回目のキービジュアルは展覧会の副題にある"I Have an Idea" これでしょう。
haveやideaの頭文字が大文字だったりする時点で自由を感じます。
pic151105-15.jpg
『アイディアグラム』と名付けられた建築・ひと・テクノロジーの樹形図

これは展示会場の壁一面に大きく掲げられており、撮影する人も多いです。
でも、この「樹形図をどのように見るのか」がゲーリーからのお題目ではないかと思います。

「どれ一つ欠けてもだめなんだよ」って。
上段の「建築」を他の業種に置き換えれば、建築以外の職業の方にとっても刺激になるのではないかと思います。

興味のある方ない方いずれにしても逃したら最期。
21_21デザインサイトに足を運んで圧倒されて欲しいと思います。

次回に続く

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